アメリカ旅行記
そよ風 No.1(by densonshugenさん)
ボニータが夜遅くまでお仕事していた。
「どうするお兄さん?」
「えっ!?」
「どうする〜?」
「……」
危うい沈黙のあと、シルクのようなそよ風が僕を宿まで誘(いざな)ってくれた。
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*♥*♥* ♡♡♡ ✿ฺ✿ฺ
ロサンゼルス アナハイム以南編(by ちぇいちぇいさん)
ちぇいちぇい初のアメリカ本土へ。
市内には近付きませんでしたが、
アナハイム以南で満喫!
旨い店も発見できました。
アルハンブラの<変な> 思い出(・・;)(by kioさん)
ミュンヘンのキャッチバーで愉しむだけ愉しんだ後、法外な料金を踏み倒して逃げてきた友人Kとパリのユースホステルで合流した後、夜行寝台列車の<プエルタ・デル・ソル号>でパリからマドリードに向かう車中,夜目に見えるピレーネ山脈を超えてからのスペインの景色を寝台ベッドでうつ伏せになりながら、飽きもせず眺めていた。
ゴツゴツとした岩肌、月明かりに照らされた殺風景な巨大な岩石とサボテン、赤土の景色は西部劇に出てくる風景を思い出させた。ピレーネ山脈を越えたら欧州ではない、と云われるのはこの風景を観ればとても納得出来た。アフリカ的な荒野が月明かりに浮かびあがっているのが車窓から見て取れた。イタリア製の西部劇こと、マカロニ・ウエスタンのロケの多くがスペインだったというエピソードは、この風景を見た時、とても合点がいく話だった。
スペインには昔から特別の思い入れを感じていた。世界中から多くの義勇軍が参戦したというスペイン内戦のインサイドストーリーから始まって、多くのスペインに関する書物を読み漁っていた時期があった。
列車が早朝のマドリッド駅に滑り込んで<MADRID>という駅標識を見た時、ついに長年、憧れていた街に来たという、特別な感慨を持った。当時フランコ将軍は、まだ存命していた。 スペインは聞きしに勝る<眼の国>だった。人の集まるあらゆる場所に監視の目が光っていた。駅構内には自動小銃を持ち迷彩服を着た軍人が詰めて目を光らせていた。出口と書かれたドアから構内に入ろうとした私は、自動小銃を抱えた軍人から押し返されたものである。
外国人が宿泊する際は、どんな安宿でもパスポートを預けなくてはならない。ただ提示するだけでなく、宿側に預けるのだ。翌日返して貰えるが、警察がチェックを入れるのだろう。他の欧州の西側諸国々で、こんな事をする国は無かった。パスポートが手元に無い事は、気持ちのいいものではなかった。一ヶ月という極く限られた短い旅ゆえ、マドリードには、グランビア<大通り>と呼ばれる街の中心地、ホセ・アントニオ通りに程近い<Hostal>と呼ばれるクラスの安宿に数日だけ滞在することしか出来なかった。
この安宿街のシステムはとてもユニークだった。夜も更けると、宿の出入り口の鍵は閉じられてしまう。その時は閉じられた門の前で拍手<かしわで>を打てば、音を聞き付けた、外套を着た門番が、遠くの方から鍵をジャラジャラさせながら、やってくるのだ。彼等は何故か一様に太っていて、ゆっくりと歩いてくる。地域一帯のHOSTALや安宿の入り口の合鍵を持っていて、相応のチップを門番に渡して自分の泊まってる宿のドアを開けてもらうのだ。
我々は他者の様子を見てこのスタイルを知った。 毎晩のように遅くまで外出していた我々は、夜毎、この鍵の門番に世話になっていた。宿に入ってベッドに潜り込んでも拍手の音がマドリードの夜の街角にコダマする様を聞く事は、悪いものではなかった。数日の滞在で市内の知られた美術館、観光名所を訪ね、夜はマヨール広場際に連なる古くからの酒場を梯子して、フラメンコのショーを観てマドリードの数日を慌しく過ごしていた。BAR<バル>と呼ばれるスタンドバーでグラスワインが僅か数十円で飲めるのだ。ソフトドリンクの方が高いくらいだった。そんな日々を数日過ごし、マドリードを慌しく後にして、次の目的地のイスラム文化の色濃く残るアンダルシア地方、グラナダに向かった。云わずと知れた<アルハンブラ宮殿>の街だった。
列車がグラナダの駅に到着したのは夜の8時近かった。マドリードから八時間近くかかった。列車を降り、駅内のインフォメーションで安宿を紹介して貰う為に並んだ。我々の前に居たのがザックを背負った日本人旅行者だった。彼のインフォメーションでの遣り取りは言葉が通ぜず、とても難儀している様子だった。私は自分の語学力の無さも省みず、拙い英語で少しだけお節介をかけた。その旅行者は我々と同世代の学生かと思われた。「スペインは英語が通じないから困るんだよな」と男は妙に違和感の有る口調で私に話し掛けてきた。如何にもプライドの高そうな奴だった。我々の番になり、私はいつもの安宿を求める時の定番のキーワード「チーペストクラス&ツイン&クリーン」とだけ、短くリクエストを出すと、すぐに駅から数分の距離にあるという安宿を紹介して貰えた。 何故か先ほどの日本人が立ち去らずに、我々の遣り取りを見て、近づいて来た。
「同じ宿の二人部屋に三人で泊まれば更に安くなるだろ?」と男は唐突に云う。何を云ってるんだ?お前? と思った。我々の押さえた部屋はツインルームだった。そこに三人で泊まると云う事は、私がミュンヘン・キャッチバー事件の友人Kと同衾せねばならぬ事態になるという事。私もKもお互いに避けたい事であり、この男にハッキリと断った。にも関わらず、この男は、金魚の糞の如く、我々の後を付いてきて離れない。
「あんたねぇ、、、自分の宿を紹介して貰ったのに、その宿に迷惑を掛ける事になるだろが?」
「いや、日本語をしばらく話していないので、話し相手が欲しいと思ってね」
この男がいつから日本を離れているのか、別に知りたくもなかったが、私はこの男と積極的に口を利きたいとは思わなかった。話していても楽しい感じでもなく、妙に四角四面で自分勝手な振る舞い、旅の連れ合いとしては最悪の部類だった。
にも関わらず!我々の泊まる宿までついてきた、この男を我々が追い払う事が出来なかったのは、同胞が夜の見知らぬ街で一人は心細いんだろう という余計な情けを掛けた所為だった。
幸運にも宿ではエキストラベッドを用意してくれて友人Kとの同衾は免れたのはお互いにとって実に不幸中の幸いだった。
宿に着き、荷を解くと男が唐突に云った。
「夜のアルハンブラ宮殿に行こうぜ。ライトアップして素晴らしいらしいぞ」
長時間も列車に揺られ、いささか疲れ気味の私は、お前一人で行ってこいよ、、、という言葉が喉元まで出たが、ライトアップされて浮かび上がったアルハンブラ宮殿が私の中でイメージされると観てみたいという強い衝動に駆られ、相棒のKと同行することにした。考えてみれば、我々はアルハンブラ宮殿を観るだけのためにマドリードから8時間もかけてグラナダを訪れていたのだ。
< 続く>
後編
アルハンブラ宮殿への思い入れの深さは、タルレガの演奏する<アルハンブラの思い出>のトレモロ奏法のギターが奏でるイメージに尽きた。このギターの音色と浮かびあがるようなトレモロ奏法は、いつの日かこの地を訪れたいという私の旅心を大いに刺激しイメージを膨らませて幾久しかった。
ライトアップされているというアルハンブラ宮殿を目指して歩き始めた。駅のインフォメ−ションで貰ったグラナダ市街の地図で確認すると宿から数キロの距離かと思われた。
夜のグラナダは、ほとんど人通りがなく時折、見かけるBARの灯りが街中に浮かび上がるように目立つくらいだった。マドリードでは銀座通りに当たる、夜の賑やかなグランビア<大通り>に程近いエリアに宿をとっていた我々には拍子抜けするような寂しさであった。
道すがら、私は友人Kとスペイン女性の素晴らしさを他国の女性と比較しながら、熱心に語りあっていた。
「君達は何故、そういうクダラナイ話には熱心になるのかな?スペインの文化とかそういうキチンとした話は出来ないの?」プライド君が我々の話の腰を折ってきた。
「そういうことも含めて俺達は比較文化論を語っているんじゃないか。それが君には判らない?」と友人Kは非難する風でもなく穏やかな口調で巧みに怪しげな屁理屈論で切り返す。プライド君は気不味そうに押し黙った。
この時、友人Kは20歳なれど、キャッチバーを巧みに踏み倒す肝っ玉と度胸の良さも持ち合わせていた。この友人Kとは付かず離れずの長い友達付き合いが未だに続いている。
小高い丘の裾野まで歩き、見上げる先にライトアップされたアルハンブラ宮殿が浮かび上がって見えるはずだった。しかし、小高い丘の上は真っ暗闇だった。アルハンブラ宮殿はライトアップされてはいなかった。
おそらく 世界的なオイルショックの所為で電力自粛していたのかもしれない。当時、我が国でも、エネルギー不足の所為で、深夜のTV放映を自粛したり、東京タワーの煌びやかなライトアップさえ抑え気味の時期があった。
アルハンブラ<赤い城>宮殿の城内に入っていた我々は、月明かりに、微細く照らされた、城内にしばし佇んだ。 満天の星の元、澄んだ空気の所為で夜のアルハンブラ宮殿で逢瀬を重ねている恋人達の吐息や囁きさえも身近に聞こえてくる。14世紀に建造され当時イベリア半島を支配していたムーア人<アラビア人>の栄枯盛衰を物語る名残の宮殿だった。
私は門塀に繋がる低い城壁の上によじ登り、身を横たえて仰向けに満天の星を眺めながら自分が遠く東京から一万キロ離れたアルハンブラ宮殿に居る不思議さを思わずにはいられなかった。10代の頃にタルレガの<アルハンブラの思い出>を聴いて、いつか必ず訪ねてみたいと願っていたアルハンブラ宮殿に自分が居る不思議さに驚きと喜びを感じていた・・
刹那、プライド君が唐突に云う。
「これから麓にあるサクロモンテのジプシー部落までフラメンコを観に行こうぜ」
宮殿の麓にジプシー達の住む洞穴が幾つもあり、そこでフラメンコの起源になったジプシーダンスを観ることが出来るということは知っていた。
「観に行けばいいじゃん? 俺達はマドリードで一番のフラメンコを見せるタブラオレストランで充分に堪能してきたから行かないよ」と冷ややかな口調で答える私。
「君達にはフラメンコ発祥のサクロモンテの地で本場中の本場のフラメンコを観たいという気持ちはないの?それはおかしいよ」自分の価値観を押し付けてくるプライド君のスタイルや物言いに免疫が出来てきた所為か、何を云われても、この男に腹も立たなくなってきた。こいつの性分なんだと、、
「実はジプシー部落は治安があまり良くないらしいんだ。サクロモンテまで同行してくれないかな?」 プライド君、最初から素直にそういう本音を云えば良いのに、、
我々はサクロモンテのジプシー部落に向かった。日本人三人で歩いているとすぐに、スペイン人とは明らかに異なる顔立ちの男が我々の前に立ちはだかった。眉と眉が1本の線で繋がっている。眼の表情が忙しなく落ち着かない痩せたジプシーの男だった。
「お前達、フラメンコを観たいのか?俺がいい店に案内してやる。アメリカ人やイタリア人や色んな国の観光客が居る。心配するな。なんの問題もない」
心配するな、なんの問題もないと、自分から云うのが凄いと思い思わず笑ってしまった。プライド君の顔を見ると緊張で表情が引き攣っている様子が垣間見えた
「フラメンコを観たがってるのは彼だけだよ」とプライド君を指差す私。
ジプシー客引きの目に軽い落胆の表情が浮かんだ。
プライド君は初志を貫く覚悟が出来たのか、私に国際学生証を渡しながら云う。
「もし、明朝までに自分が宿に戻らなかったら、関係省庁に連絡を願いたい」と大袈裟な事を云う。関係省庁だと、、こいつ、いったい何様のつもりだろ?
「何の心配もするな。君が明日の朝までに宿に戻らなかったら、その足でグラナダ警察に日本人がジプシー部落から戻ってこないと届出をしておく。マドリードに戻ったら日本大使館に行って邦人が行方不明の旨と家族への連絡も頼んでおくから、安心しろ」とプライド君がまるで、事件に巻き込まれる事を前提にするような事を多少の皮肉を込めて云う私。 やがてジプシーに連れて行かれ夜の闇に消えていくプライド君の後姿を見ながら、無事を少しだけ祈った。
プライド君の国際学生証を見ていた友人Kが大袈裟に叫ぶ。
「ひぇ〜〜 !!奴は東京大学の学生らしい」
確かに大学名の項目には<TOKYO>と印刷されている。
「道理で様子が変だったな。妙にプライドが高くて変わっていたな。俺達と話題も噛み合わなかったし。」と勝手な事を云う私。
「大丈夫かな?奴は?」とKが心配そうに呟く。
「大丈夫さ、命を取られたりはしないさ。でも金は巻き上げられる。間違いなく持っていかれる。お前のように踏み倒して逃げる度胸と機転はは奴にはないよ」
我々は好き勝手な事を言いながら、サクロモンテのジプシー部落を去り、道中、BARを数軒冷やかしながら数時間かけて宿に戻った。すでに午前を廻っていた。 何だか妙に徒労感だけが残った。驚いたことに宿の部屋の鍵が開いていた。何と!東大プライド君は先に宿に戻っているではないか!! 無事に帰れて良かったなあ、、、
彼の話によると、洞窟をくり抜いたジプシーダンスの小屋を何軒も何軒も引き回されたという。今度行くところは本当の本物だ!みたいな事をジプシーに何度も云われ、律儀にも何軒もノコノコと付いて行ったらしい。その都度、店に金を支払い、おそらく引き回したジプシーにも店側からそれぞれマージンが支払われていたはずだ。
いったい幾ら遣ったのさ?と 問うと、「五万円ちょっとかな」と少し恥ずかしそうに答えた。マドリードのツーリスト・ンフォメーションで市内で一番評判の高いタブラオ・レストランを紹介してくれと頼んだ店でさえ邦貨でドリンク付きで3000円程だったのに。
我々が余りの浮世離れぶりと御馬鹿ぶりに言葉を失っていると、東大プライド君は弁解がましく云った。
「でも金には代えられない、貴重な経験をしたから失敗したとは思っていない」と妙に強がって見せた。
しなくてもいい経験をして失敗ではないと言い放つ東大プライド君の言に超凡人の我々は発する言葉も見つからなかった。
ドッと睡魔が押し寄せた
【旅行時期】1976/02/~1976/03/
【エリア】
グラナダ
【テーマ】
【投稿者】
kio
気軽にリゾートの旅(by becioさん)
3泊4日の海外逃亡
日本から3時間でいける小さなアメリカ
日本語でも無問題だけど、英語が通じる安心感
VIVA GUAM!
スキューバダイビング初体験となりました
イビサ島へ行ってみた(by かねかねさん)
以前からイビサ島に行ってみたいと思ってて、やっと念願が叶いました。島自体が世界遺産でもあり、たくさんの若者がクラブに集う為に来るというギャップ。情報も少なく行ってみるまで凄く不安だったけど、行ったら最高でした。イビサタウンとサンアトニオだけですが街歩きしてみました。来年はハイシーズンにまた行きたいです。
【旅行時期】2006/09/19~2006/09/21
【エリア】
イビサ島
【テーマ】
【投稿者】
かねかね