ロシア旅行記

Turkey(by kmさん)

ロシア
もう5回目、大好きなトルコ。今回はアゼルバイジャン国境(飛び地ナヒチェバン)からIgdir、Ardahanなどマイナーな県を通ってグルジア国境に抜けた。国境からIgdirの町までは、大アララット・小アララット(トルコ語ではアール・ダー)の両山をはじめ美しい景色が望めるが、私がそのあたりで取った写真はトルコ人兵士にすべて消去させられた。敵国アルメニア国境と接しているので緊迫しているのだ。「トルコがクルド人らを使って2度にわたり150万人以上のアルメニア人を殺戮した」、というのがアルメニア側の主張、トルコはそれを認め謝罪することはないので、両国間に国交はなく、陸路国境も閉じられたままだ。アルメニア人大虐殺については2年前くらいに日本でも上映された映画Araratなどを参照。アララット山とその周辺地域がアルメニア人にとっていかに特別なものかよく分かります。トルコ側にしてみればロシアの手先だったアルメニア。虐殺があったのは間違いないだろうが、その規模については必ずしも明らかでない。欧米・アルメニアに政治的に利用・誇張されているようにも見える点ではXX大虐殺と状況がよく似ている。ダゲスタン(ロシア内のトルコ系共和国でイスラム教)の女は結婚式に参加するためIgdirで降りていった。ダゲスタン女が降りてしまうと、彼女とロシア人ヒッチハイカーDinaのコンビの連携によるトルコ語→ロシア語→英語の会話は成り立たなくなり、乗り合いタクシーは静かになった。私は10年前の西アジア横断の旅で見たイサクパシャサライがもう一度見たくて、Dinaを誘って、Igdirからわざわざイラン国境付近のドゥバヤジットまで行って宿泊。ここは完全なクルド地区。トルコ軍の戦車が自国民であるクルド人を威嚇すべく砲身を向けてずらっと並んでいる。結婚式を見学したが、イラクのクルドのものと違って、男女が交互に手をつなぐことはなく、服装もより現代的だったのが印象的。翌日は20世紀初頭まではアルメニア人だらけだったKars県にドルムシュとバスを乗り継ぎ移動。オランダ人女2人と私を除き、チェックポイントでバスの全員はIDを回収されていた。クルド活動家などの有無を調べてから返却されるまで待たされる。事実上独立国となったイラクのクルドに触発されてか、今年に入ってからトルコのクルド人の独立・自治確立運動も盛り上がっておりテロも活発なのだ。トルコクルドはとても抑圧されている。クルド語による教育は未だ禁止されているし、イランやイラクのクルドと違いだぶだぶのクルドズボンを着ている人も少ない。ケマルアタチュルク(近代トルコ建国の父)の肖像を店に掲げることを強制されているが、店員がウインクしながらXXXXとそこにはクルド政党のリーダーが描かれていた。Kars県のアニ遺跡はよくアルメニアの遺跡といわれるが、トルコ政府が設営した解説ボードにはアルメニアの一文字すらなかった。実際アルメニア時代の町や教会が中心の遺跡なのだが、この地を征服していったペルシャ、ビザンチン、アラブ、モンゴル、トルコ(セルジュク・オスマン)、グルジア、ロシア時代の遺跡も一部敷地内に残っている。「アルメニアの遺跡」と言い切ることも、「アルメニアの遺跡でない」ということも不正確なのだ。中立的な立場で歴史を見るよう心がけたい。川の対岸はアルメニア領だが橋は破壊され陸路は閉鎖されたまま。美しいアラブ城があるアルダハンで宿泊。ここまでくるとクルド人はほとんどいなくなり、トルコ人ばかりだ。ardahanからグルジア経由でアゼルバイジャンへ向かうアゼリーがいっぱい。朝からいろいろな人に何杯もお茶をご馳走になり腹がだぶだぶになる。トルコの田舎を旅するといつもこうだ。Ardahanから直接グルジアに入国することもできるのだが、グルジア内のAjaria自治共和国の様子が見たくてわざわざ山越えし、Artvin県で黒海沿岸のHopa経由でグルジアへ。(以上2006年訪問時、メルマガより抜粋)
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  • Istanbul, Ankara, Kappadokia, Antakuya, Dugbayajit(sp?), Erzurum, Van, Tatvan, Diyarbakir, Bodorum, Silopi

    【旅行時期】1992/07/~1992/08/
    【エリア】トルコ
    【テーマ】
    【投稿者】km

    ロシア料理 〜 かわいくて おいしい そして残酷 ♥ ♥ 〜(by 空っちょさん)

    ロシア
    平成20年10月12日(日) モモ先輩とワールドグルメツアー再び(笑)


    今回はワタクシの所望で


      ロシア料理 甘藍 kanran 
  • http://www.geocities.jp:80/rkanran/
  •   へ ランチ行ってきました♪



    【旅行時期】2008/10/12~2008/10/12
    【エリア】豊明・大府
    【テーマ】グルメ
    【投稿者】空っちょ

    svalbard etc(by kmさん)

    ロシア
    (追記)
    映画「Eight Below」を見ました。南極物語という邦題で日本でも今年の春公開されたようですね。昔日本で大ヒットした「南極物語」と違い、デズニー映画なので薄っぺらいハッピーエンドの物語だと感じました。グリーンランドの犬ぞり御者によるとソリ犬は摂氏マイナス30度が適温らしいので人間と一緒に暖房の効いた室内にいることはありえないし、他にも非現実的な設定ばかりでしたが、スバルバールのソリ犬御者の言ってたように地形やや気候により犬のフォーメーションを換えるところが確認できて興味深かったです。なお、私が犬ぞりを試したときには、グリーンランドのフィヨルドでは14匹横一列、スバルバールでは横2x縦4のフォーメーションでした。


    (メルマガより抜粋)
    北極圏その他を回ってきました。いつものように駆け足ですが、いつもにまして充実した旅になりました。具体的にはグリーンランド(デンマーク領)、フェロー諸島(デンマーク領)、オーランド島(フィンランド領)、スバルバール(ノルウェー領)など、北欧および北極圏、そしてそこからだいぶ遠いのですが種々の理由によりアセンション島(英領)を同一機会に訪問しています。どの領土も面白かったのでいろいろ報告したいと思っていたのですが、なかなか時間がとれず・

    アセンションAscensionは、南大西洋、赤道直下にあり、アフリカ大陸と南米大陸の中間に位置する絶海の孤島です。行政区画的には英領セントヘレナの一部で、アセンションのほかにはナポレオンが2度目に島流しされたセントヘレナ島や世界で最も辺鄙な人の住む島であるトリスタン・ダ・クーニャ島を含む地域です。1501年のアセンション・デー(キリスト教の暦)に発見されたことが島名の由来です。イギリス軍・アメリカ軍が基地をおいており、基地産業が島の中心になっています。島の歴史は大変興味深いので、いつか時間が取れたときにまた書きます。

    商業飛行機は飛んでいない地域なので、ロンドン郊外の英軍基地から軍人を運ぶ飛行機に乗せてもらいます。アセンションは基地だけでなく、渡り鳥と海亀の天国でもあるのですが、観光客はほとんど来ません。これは、入国手続き等が煩雑なうえにあまりに交通が不便なことが理由と思われます。島内も交通手段がないため、ペーパードライバーだった私も、この島でレンタカー(ホテル宿泊代に当然に含まれている)を利用せざるを得ず、運転免許取得以来初めて車の運転をする羽目になりました。いろんな国でいろんな動物を見ましたが、次々上陸してくる海亀達の産卵シーンや卵から孵ってパタついている子亀達の様子を、私以外誰ひとりいない浜辺で見た緊張・感動・興奮は一生忘れないと思います。


    スバルバール
    *白熊さんのお出迎え
    *北緯80度(?) 白夜体験 日が沈まないということの意味
    *最北ずくめは炭鉱町 (100周年のLYB)
    *緑色のヘルメットに寄せる想い
    黄色のヘルメット(ボスクラス)まで勤め上げた元鉱夫のガイドさんが今でも緑色のヘルメット(初級者者クラス)を大事に持っているという話。鉱夫達は、4ヶ月も太陽が地平線から昇らない北極の寒い島で何が楽しくて炭鉱堀をやっていたのだろう、と考えていた私は偏見に満ちていたようだ。ガイドさんにとってはこの暗くて寒い鉱窟がいろんな思い出が詰まった青春そのものなのかもしれない。だから老人ホームも墓地もないこの島を、この鉱山を今でも離れがたく感じているのだ。
    *入国・出国手続き(シュンゲン条約外の地域)
    *タイ人労働者とビザ事情
    *白熊対策あれこれ
    *墓地がない理由
    *最北の大学訪問記
    *博物館のあり方
    *ロシア人コミュニティー
    *暖冬と交通事情
    *スノーモービルと犬ぞり
    *犬ぞり体験・運転編
    *たらのキャビア
    *アザラシの肉のお味は
    *映画館はサッカー場
    *白熊の毛皮
    *バレンツとオランダ
    *第二次大戦(ドイツ軍の爆撃)
    *鉱山体験記(ポトシと比較して)
    *猟銃のレンタル
    *超接近トナカイ (望遠レンズなしです)
    *通信事情
    *北極のアイスクリーム
    *スバルバールの切手


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  • 【旅行時期】2006/04/~2006/05/
    【エリア】北極
    【テーマ】
    【投稿者】km

    ロシア人とともに歩く四国霊場八十八ケ所巡り- 1番・霊山寺から12番・焼山寺まで -(後編)(by JIC旅行センターさん)

    ロシア
    ○四国遍路に「旅行の原型」を見る○
     四国霊場めぐりはいつごろから始まったのか? 四国八十八ヶ所は弘仁六年(815年)弘法大師によって開創されたと伝えられている。大師入定(835年)後ほどなく大師信仰が起こり、平安末期から鎌倉時代にかけて真言宗の修行僧が大師ゆかりの地を巡拝するようになった。室町期に入ると一般庶民も参加するようになり、八十八ヶ所の霊場が固定したのは室町末期から江戸初期の頃と言われている。

    江戸時代の初期に、高野山の僧・真念が四国の縁起や八十八ヶ所の道程をまとめた『四国遍礼霊場記』を著し、また簡便な「遍路指南」(ガイドブック)も作られて四国遍路が一般化していった。全道程1440?、歩けば40日から60日もかかる長旅だが、各地の宿坊や民家に宿をかり、時には野宿して巡る遍路の旅が、「お伊勢参り」などとともに、人々の楽しみと癒しの場となっていった。はるばる四国まで足を伸ばせない人のために各地に「ミニ八十八ヶ所」も作られた。霊場巡りは、日常生活を離れて心と体をリフレッシュする、いわば「旅行の原型」なのだ。

     今では四国霊場めぐりも「商業化」の波に洗われ、各寺々に立派な宿坊が建ち、周辺には遍路専用の宿が整えられている。1日目に宿泊した十楽寺の宿坊は最近新築されたばかりで冷暖房完備、立派な食堂ではおいしい夕食と各種の「般若湯」(酒、ビールなど)が供され、並の旅館やビジネスホテルよりよほど豪華だった。ネットで検索すれば、効率よく各霊場を巡るバスツアーや観光タクシーの宣伝が目白押し、遍路用品の販売サイトも花盛りだ。

    誰が考えたか、各寺ごとに納経帳や白衣、掛軸などに墨書、朱印を押してもらうスタンプラリー方式がすごい。いやでも八十八ヶ所を全部回りきろうという気にさせる工夫がしっかりなされている。

    【旅行時期】2008/07/~2008/07/
    【エリア】徳島県
    【テーマ】寺社・札所めぐり
    【投稿者】JIC旅行センター

    【工事中】4トラデビュー作:芬蘭紀行(by しろくろさん)

    ロシア
    DVDで観た映画『かもめ食堂』に感化されて、初めてのヨーロッパ一人旅に選んだのは森と湖の国、フィンランドです。
    ここから周辺のスウェーデンとエストニアにも足を伸ばしました。
    1月のロシアツアー直後から半年かけて練りに練った旅程。初めてにしてはまずまず?

    7月4日
    成田空港→ヘルシンキ・ヴァンター空港に午後着
    路線バスで市内へ。市内観光
    7月5日
    郊外にあるヌークシオ国立公園散策ツアーに参加
    7月6日
    鉄道にてヘルシンキ→トゥルクへ
    トゥルク&ムーミンワールド観光、夕刻発のスウェーデン行きフェリーに乗船
    7月7日
    スウェーデン・ストックホルム観光。夕刻、飛行機でヘルシンキへ戻る
    7月8日
    買い物三昧
    7月9日
    フェリーでエストニア・タリンへ日帰り旅行
    7月10日/11日
    夕刻発の飛行機で帰国

    ☆フィンランド航空だけではないと思いますが、旅行代理店に依頼するよりネットで正規割引券を買う方がお得のようです。

    ☆スウェーデンまでのフェリーや鉄道は日本で予約しました。
    フィンランド国鉄 
  • http://www.vr.fi/heo/eng/



  • 【旅行時期】2008/07/04~2008/07/11
    【エリア】ヘルシンキ
    【テーマ】ひとり旅
    【投稿者】しろくろ